松下幸之助は、3時間ぶっ続けで叱り続けた

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松下 幸之助(まつした こうのすけ)
1894年〈明治27年〉11月27日 -
1989年〈平成元年〉4月27日)は、
日本の実業家、発明家、著述家。
パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、
松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者。

【異名は経営の神様。】

自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ人物。

本日のテーマは、
『松下幸之助は、3時間ぶっ続けで叱り続けた』

「きみ、いまから来いや!」

松下幸之助からの電話である。もう夕方、とうに5時を回っている。声の調子からあまりご機嫌がよくないことがわかった。これはどうもよくないようだ。とにかくすぐに参上しよう、しなければならない。しかし、何かあったのか。何を叱られるのだろうかと、いささか動揺しながら思いを巡らす。

機嫌の悪いときに、ぐずぐずしていては松下をいっそうイライラさせ、怒りを倍加させるようなものだ。すぐ行くのが叱られるときのコツだと、いつのまにか知恵も身についている。とるものもとりあえず、車に飛び乗った。

部屋の扉を開けて入ると、松下はソファに座っていた。そして、そういうご機嫌の悪いときはたいてい新聞を大きく広げて読んでいた。

「きみは何を考えて仕事をしとるんや」

「こんばんは、遅くなってすみません」と恐る恐る言う私を、いつもの笑顔をまったく見せず、厳しい顔で眉間にしわを寄せ、下からキッと睨み上げながら、「きみは何を考えて仕事をしとるんや。これは何や」ときつい調子で尋ねた。

いつもなら横の椅子に何も言われなくとも座りこみ、やがて一緒に食事をする私であったが、こういう強い口調で切り出されると、座るわけにもいかない。立ったままで叱責を受けることになる。当然、食事も出てこない。激怒しているのだ。厳しい言葉が次々に出てくる。

「この仕事できみが正しいと思うことはなんやねん」。問いかけに対してぼそぼそと答える私に、「それがわかっておって、やっておらんということは、どういうことや」とたたみ掛ける。執拗に叱り続ける松下を見ながら、私は心の中で相済まなかった、申し訳なかったと反省しながらも、何もこんなにまで怒ることはないのではないか、という思いも湧いてきた。

たしかに見方によっては松下の言うとおりかもしれない。しかし、仕事には流れというものがある。必ずしも正しいことばかりで仕事が進められるものではないし、やがてきちんと元に戻すつもりだったのだ、というような弁明が、ネオンサインのようについては消え、消えてはつく。

そう弁明したいが、とても言えるような雰囲気ではない。じっと立ち続け、聞き続けているうちにチラリと時計を見ると、すでに1時間が過ぎている。もう終わってもいいのになあ、今晩は食事ができるだろうか、家では用意してくれているだろうかと、口では反省の弁を述べながらも、頭の中では他のことばかりを考えている。

しかし、それを見抜いているように松下の叱責は続く。言葉、内容は先ほどから同じことの繰り返しである。もう黙って聞いているより他にない。

しばらくしてまた時計を盗み見ると、また1時間がたっている。これで2時間も怒られたことになる。その頃になると、怒り続け、叱り続けている松下を見て、だんだん感動してくる。

一生懸命に叱る姿に感動

凄いな、歳は自分の半分の部下に、これほどの情熱をかけて一生懸命に叱ってくれる。注意してくれる。それが個人的な感情、私情にとらわれてではないことがわかってくる。激しい怒りの言葉の奥に温かさ、やさしさが感じられるからである。自分が悪かった、ああいうところは我慢してやらなければいけなかったと、自然に気がついてくる。わかってくる。

3時間ほどたつと、松下からの叱責が心からありがたいと思われてくる。

「わかった、ええわ」。叱り疲れたのか、多少なりとも私が反省したのがわかったのか、呟くようにそう言って、もう遅いから帰れと松下が言う。夜の十時である。

そんなことが、36歳で経営をまかされてからしばらくは、年に4回くらいあった。松下から叱られる風景はこれに限られるわけではないが、一つの例として再現すればそういうことだった。

私は、講演を頼まれてたびたび松下幸之助の話をすることがある。こういう出来事で感動させられたという話をすると、「それでは自分もうちの社員に同じようにやってみよう」と言われることがよくある。だから、これもいそいで付け加えておこう。松下のこの叱り方を単純に模倣してはいけない。「そうか、3時間も叱れば部下は感動するものなのか。自分もやってみよう」などと思わないでいただきたい。そのやり方の、表面的な理解だけで松下になったつもりで振る舞えば、逆に部下から軽蔑されること必定である。

松下には、自分で考え抜いた人間に対する見方、考え方が前提として存在していた。そして人間の価値に対する絶対的評価があった。人間は尊い存在である、その人間観が前提にあって、松下のすべての言動があった。

その人間観を抜きにしたままで、やり方だけを模倣すれば、逆の結果を招くことになる。これは本書のすべてに同じことが言える、重要な部分である。

松下は「叱り方がうまい」とよく言われていた。しかし、叱り方そのものに何かコツや技術があって、配慮や手心が加えられて「うまい」のだとは私にはとうてい感じられなかった。

松下の叱り方は、時として尋常を越えることがあった。厳しい言葉、厳しい視線。キッと私を睨みつけて、もうこれ以上憎たらしい者はいないというような表情と口調。思わず震え上がるか気絶するような、そんな雰囲気の叱り方をするときがあった。若いころはもっと凄かったという。実際、松下電器を経て三洋電機の創立に参加された後藤清一氏は、松下に叱られてほんとうに気を失ったエピソードを著書で述べておられる。松下の叱り方が生易しいものではなかったのは確かである。

叱る時に何か配慮をしているのか?

あるとき松下が機嫌のいい時に、私は冗談めかして尋ねたことがある。「人を叱るときに、何か配慮しながら叱るんですか。叱るときには、何を考えて叱っているのですか」

「えっ?わしが部下を叱るときには、何かを考えたり、配慮するというようなことはないよ。とにかく叱らんといかんから叱るわけで、このときはこういう叱り方をしようとか、考えて叱るということはないな。なんとしても育ってもらわんといかんわけやから、あれやこれや、姑息なことを考えながら叱ることはあらへんよ。そんな不純な叱り方はせんよ。私心なく一生懸命叱る。叱ることが部下のためにも組織全体のためにもなると思うから、命がけで叱る」

「叱るときには、本気で叱らんと部下は可哀想やで。策でもって叱ってはあかんよ。けど、いつでも、人間は誰でも偉大な存在であるという考えを根底に持っておらんとね」

松下の叱り方が激しいものであったにもかかわらず、結局はその叱り方に温かさとやさしさを感じるのは、そうした松下自身の人間観によるものであろう。松下が激しく怒っている、その瞬間にも、この人には部下に対する思いがあるのだということが自然に感じられた。そして、私的な感情からではなく、公の立場に立っての叱責であることが感じられた。

だからこそ、松下は「叱り方」がうまいと言われた。そして松下に叱られたことを自慢する人が多いのだと思う。

あなたは部下を叱って、何人の部下から「ありがたかった」と感謝され、感動されたことがあるだろうか。


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では、今日はこの辺で。

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