好きを仕事に。起業する。

稼ぐ力を身に付け「稼げる自分」へ

後藤剛人生エピソード


” この道を選んだのにも理由がある ”

だって、どうしような奴だったから。
だって、ワガママにありのまんまでいたいから。
だって、乗り越えたい壁があるから。

僕の人生はこうして始まった。

幼少期は、
わがままで自分勝手な、
ただの「明るい泣き虫少年」。

物心がついた中学生になった春。

「今日のご飯は〜?」
「何時に帰って来るん〜?」
「今日も帰ってこないん〜?」

そんな親とのやり取りが当たり前の日々。

” どうやって俺は生きていけば いいんだ ”

路頭に迷い「万引き」「窃盗」「お金を盗む」
という色んな事を経験をした13歳。

13歳の自分には何もできないし
生きてくにはそうするしかなかった。

そこからが本当の”クソ”みたいな人生の幕開け。

そんな僕が今はそんな人生とは、
かけ離れた人生を歩むことになった。

こんな俺でも最高の人生に変えれるんだ。
こんな俺でも幸せになれるんだ。
こんな俺にも他人を幸せにできるんだ。
こんな俺にもまともに稼げるんだ。
こんな俺でも感動と喜びを伝えれるんだ。
こんな俺でも他人に感謝されるんだ。
こんな俺でも価値を届けることが出来るんだ。
=====================

「人生ってわからないもんだなあ〜」
って思っている今日この頃ですヽ(・∀・)ノ

そんな僕のちょっぴり、
恥ずかしいエピソードの始まり。

ちょっと汚い言葉や過激なところ
ドン引きするかもしれませんがご了承下さい。

理想を現実に、不可能を可能にした男の野望

後藤 剛という人間

 

1991年5月1日生まれ
春の桜が散る頃、大阪の豊中市にて誕生。

一つ上の姉貴、母親に女手一つで育てられる家庭で ロウソクの灯火の中、食事をする事もあるほどお金は無かったが、愛情たっぷりの環境でスクスクと育った「我がままで陽気な少年」。

ここからが僕にとって普通ではない
人生のスタート地点だったのです。

人生において初めての経験

 

毎日休む事もなく何処の誰よりも、
僕と姉貴を育てる為に働いていた母親。

今思うと、「感謝」しか無い。
そんな大尊敬する母親を持った。

そんな有り難さに当時の僕は、
気付く事も出来なかった。

朝、起きた時には、
母親は既に仕事に行っていて、
姉貴と揃って学校の準備をしていた。

毎朝、自分で卵かけごはんにふりかけ。
時には食パンを作って食べていました。

たまーーにお弁当の余りの卵焼きが
ある時はテンション上がっていたのを思い出す。

夜ご飯は
「今日もこれでなんか買って食べて」

と、机の上に500円玉と置き手紙が
いつも置いてありました。

その500円を握り締めてご飯を
買いに行くのが楽しみでもありました。

友達の家庭は家族揃ってご飯を食べたり、
家族で外食に行ったりしている家庭が、
羨ましかった時期もありました。

思い出しただけで今でも身にしみます。
あの時は今でも『孤独』 だったなと思う。

何度も他の家庭が羨ましいと思うこともあり、
何度も挫けそうになった。

時には、ロウソクの光だけで、
3人で食卓を過ごしたこともあった。

(今となれば良い思い出だ)

でも、その当時は『幸せ』から、
ほど遠い生活を日々送っていました。

振り返ると、今は
その経験が僕には「宝物」に。

ただ、当時の
生活も長くは続かなかった。

人として最悪な自分に

 

少しずつ人として最低になってしまった。

段々と『犯罪』に手を汚してしまう。

万引きは当たり前。
自転車の窃盗も当たり前。
お金やモノを盗むのもアタリマエ。

学校もサボり癖がついてしまい。

行ったとしても昼休みには帰って、
家で皆でゲームしたり、遊びが中心の生活。

学校では皆でフザケて、
先生にもいたずらしたりして、
かなりエスカレートしていました。

(今では笑い話になるけど笑)

家に帰らない事も続くようになり、
母親と姉貴とも会う回数は少なくなる日々。

そんなこんなで中学校の担任に、

「後藤ー高校どうすんねん」
「もうちょい頑張らな行かれへんぞ」
と言われました。

高校は行きたかったので、
一番レベルの低い公立を受けることに。

見事、高校には受かることができ入学。

入学式では、ピアスに金髪にボンタン、
ミニ・スカートに厚化粧・ルーズソックスと、
まさにヤンチャな奴らが集まった高校でした。

ここからが本当に腐った
「後藤 剛」の始まりであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

家にはほとんど帰らない毎日で、
仕事は好きでそこそこ働いていました。

それに家庭環境上、
自分でお金を稼がないと欲しい物も買えないし、
好きな事をするにもお金は稼がないとイケない。

その当時は、
ガムシャラにお金稼ぎを。

ですが、

学校の遅刻はアタリマエ、
休むのもアタリマエ、
バイク通学もアタリマエに。

そんな廃人のような生活もエスカレート。

バイクの窃盗やり始めお金稼ぎに。
”窃盗”しては”売りとばし”の 繰り返し。

毎日のようにコンビニ集まっては、
バイクで走り回ったり夜な夜な遊んでいました。

夜な夜な集まって窃盗に出るほどで、
他県まで遠征に行き窃盗しては、
売ってお金にしての繰り返しでした。

挙句の果てには知人のバイクまでも
窃盗して他に売ったりと最悪なことばかり。

バイクをバラして組み立ててお客さん見つけて、
バイクを納車してとバイク屋さんみたいでした。

普通にパーツをお店から仕入れて、
組み立てたりもしていました。

夜はどこかに溜まって世間からみてGMKZ。
いわゆる”ゴミクズ”でした。

そんな高校生活は何も変わらないまま
1年、3年と年月は経っていきました。

停学処分、停学処分、停学処分。

学校側にはバイクを没収されたり。
自宅謹慎になったり。処分ばかり受ける日々。

高校3年からは車で「通学」を始める。

そして、そんな最中、
地元の仲間、ツレが次々と捕まることも
増え、寂しい時期も多々ありました。

窃盗にでかけたある日。

3人でいつものように窃盗しようとした時、
赤いサイレンが周り、住宅街に鳴り響いた。

3人は顔を見合わせバイクを置き、
走って逃げたが、既に周囲は囲まれていた。

捕獲されてしまい、
それぞれ別々のパトカーに。

そして、事情聴取”が始まった。

警察は僕ら三人を署に連行することに。

そして署でそれぞれ事情聴取が始まり5時間。

5時間が経過した頃にようやく開放された。
まだ窃盗する前の捕獲だったのでセーフでした。

それもつかぬ間で事件は起きました。

常に一緒にいた ”大親友” が捕まったのです。

僕にとって、
これが一番の出来事でした。

毎日一緒にいたし、
どんな時も助け合って 、
笑い合い、難を乗り越えてきた。

ここでまた、1年と半年という長〜い
自分との戦いでした。

苦痛の時間を過ごすことに。

手紙でのやりとりだけが僕の楽しみだった。
今でもその手紙は大切に保管しています。

「出所してからは、
スグに働いて更生すると。」

その頃、僕も高校を卒業するシーズン。

行っていた高校は進学校でもないし
大学になんか行くもんか!

と、就職することに。

ピアスも辞め、髪の毛も黒染め、
短髪にして就職モード。

でも、したいこともなかったし、
車が好きだったので車関係の会社に入社。

見事一発合格で入社。

ここでゆくゆく社会の現実を知ることに。
(正直、入社して2〜3日で辞めると決意)

しかし、すぐに仕事を辞めるのも、
自分に甘えてるだけだと言い聞かせながら、
気が付けば1年が過ぎていました。

ただ、仕事は好きだったせいか、
着々と仕事に慣れて楽しくやっていた。

コミュニケーションは得意だったのもあり、
同期、上司の人ともスグに仲良くなれた。

それに、途中からやり甲斐も見つけ、
切磋琢磨し合って仕事をしていた。

そしてある日のことでした。

マネージャーに呼び出されて、

「後藤、兵庫の芦屋浜に転勤だから」
と告げられて転勤することに。

転勤して、スグに、
「最年少作業長」になりました。

でも、不満がただ増えるだけでした。

・残業はあるのに残業代はでない。
・給料に夢がなくなった。
・上司は会社の愚痴ばかり。
・上司に命令されたくない。

そう、子供の時の心が芽生え、
「ワガママに、ありのままに生きたい」
と、強く思ったのでした。

伸び伸びとした、
自分が理想にしている人生を、
生き生きと歩んでいきたいと思ったのです。

周りに比べると、
ボーナスも年に3回で給料も良かった。
休日も多い時で月に10回もありました。

22歳過ぎには、
その当時の現行ベンツのw204を購入。

車も国産のクラウンから外車のベンツ。

他の20歳過ぎに比べると、
相当いい暮らしだった。

ただ、そんな我慢の自分ともオサラバ。

「自分が描いていた人生とは違う」
「もっと自分のヤリタイことをやる」
「人生一度きりだから全力で生きたい」

それがその当時の僕の本音である。

僕の人生の分岐点はその本音で始まった。

今の自分がいるのも、
このキッカケ・想いがあったから。

それは、「ビジネス」との出会い。

僕は当時その言葉すらも知らないし、
ビジネスという言葉も理解していなかった。

話を聞いた時は、

「こんな世界があるんだ」
「俺も絶対お金持ちになるんだ」
「自分自身でお金を稼いでやる」
と、強く思って胸騒ぎがしました。

ところが。。。

まず最初に思ったことが、
「簡単でなく、難しい」ということ。

会社みたいにルールもなく決まりもない。

「自分の力だけでお金を稼ぐ難しさ」
を、知ったのであった。

何かに頼ることもなく、
自分自信で稼ぎ、お金を生み出す。

僕が最も欲しかった能力だった。

そこから、なんとな〜く、
転売を本格的に始めてみたり、
アフィリエイトの勉強をしてみたり。

でも、なかなか収益というのに繋がらず。

ただただ、時間だけが過ぎていた。

PC操作も解らずに、
自分の限界を知ったのです。

「数日後・・・」

お世話になった会社を3年で退社。

時間だけが過ぎ去って、
何も変わらない日が続く中で、
好奇心だけが先走っていました。

で、思ったのが、

「誰もいない、
知らない土地に行こう。

東京ならデッカイ事がデキそうや。

ビジネスなら大阪よりも東京やろ」

”勢い”と”ノリ”だけだった(笑)

そして、ここで更なる分岐点を迎える。

それは、故郷大阪を出て1人で東京に。

↑僕の中で一番の分岐点でした。

今思うと勢いが8割でしたが、
ふと冷静になると凄く寂しかった。
でも、勢いで寂しさを消していた。

すぐに荷物をまとめてカバン二つで
夜行バスで出発しました。

見送ってくれた友人達に別れを告げて、
梅田駅からバスは出発。

バスの後ろから車で付いて来てくれて
ずっと手を振ってくれていました。

今だから言えますが、
この瞬間は本当に辛すぎて寂しすぎて
強がっていたけど、涙が溢れた。

涙が止まらずに、
思い出だけが頭によぎった。

「こんな素晴らしい仲間がいたんだ」って!!
心から大阪に生れて豊中市で育って良かった。
と、思う瞬間だったのかもしれない。

そして、涙とともに
バスの電気も真っ暗になり・・・

静かに消えていきました。

新たな人生のスタート

 

ここからが本当の人生の幕開け。

東京って「でけえ街だな」って思いました。

東京に観光でも来たことがなかったので
渋谷のハチ公で1人で写真を撮りました。

でも、スグに勢いとノリで上京した
生半可な覚悟を思い知らされる事になった。

日々、「ワクワク」と「不安」と戦いながら、
家に引きこもって勉強の日々だった。

ストレスの発散も出来ること無く、
ただただ孤独に勉強して過ごすしかなかった。

覚悟を決めたからには戻れないし、
やると決めたからには成功してやると。

自宅から一歩も出ない日が普通になり、
1日誰とも会話しないのもアタリマエ。

ご飯もろくに食べずに、
大阪では考えられない生活だった。

そして、ずっと勉強すること数ヶ月。

色んな事に挑戦して、
触りなれないPCをカタカタと叩きながら、
試行錯誤して日々活動を続けていました。

でも、成果はあまり出ずに、
大学に行って経済の勉強をしたり、
図書館に引きこもって勉強したり。

ただ時間とお金だけが減ってく一方で。

色々な人に会ってみようと思い、
ネットサーフィンをしている時のことでした。

Facebookで1歳違いで成功されている方。
ページを発見してすぐにメッセージを飛ばした。

「期待して待つこと1日・・・」

返信が来てお会いできることに。

最初の印象は、
「オフィスかっこいい〜!」
でした。

ただ、中に入ったら、
「胡散臭い」 の一言でした。

数分して僕はガッカリしていて、
目の前にいる方のお話を聞くことになり、
案の定、話の内容も胡散臭かったのです。

凄い多額のお金を請求され、
胡散臭い言葉やワードが飛び交っていました。

・必ず成功する
・絶対すぐに稼げる
・楽に簡単に稼げる

このような言葉ばかり並んでいました。

結局、この会社は詐欺会社だったらしく、
僕が会って半年後にニュースに。

(被害者が続出したそうです)

東京は怖いところだなと思った。

スケールが大きい分、
「騙す人間」「悪い人達」「詐欺師」
こんな人達がいっぱいいるんだと。

そして、ある人生の転機となった出逢い。

それは、紹介の紹介で会うことになった、
1歳年上の「男性経営者」でした。

1歳しか違うのに、
なんだこの「知識量」と「迫力」
そして気さくで面白い自分と似てる人柄。

正直、なんなんだと思いました(笑)

とっさに出た一言が、
「僕にビジネスを教えてください!」

でした。

人生が変わった瞬間でした。

そこから猛勉強して着々と実績を作り
売上も上がっていき稼げる自分に変わった。

おぼつかないPC作業も、
着々と触れるようになり全てが前進した。

ビジネスとは何か、価値とは何か、
人生とは何か、色んな事が見えた瞬間だった。

「そして夢にまでみた・・・」

僅か、半年という期間で【会社経営】。

2014年04月16日 (母の誕生日)
BLOSSTORY.LLC 設立

着々と事業も拡大することができ、
売上もあがっていき現在に至るのです。

ここで僕が経験したことは、

「人は努力さえ出来れば、
どんな事だって理想を現実に出来るんだ!」

「やる気さえあれば、
不可能も可能へと変えれるんだ!」

上京する前は、
お金も無かったし、学歴も無かったし、
特技も才能も無かった僕でも会社経営を。

そして、夢でもあった、
「タワーマンション29階」に引っ越し。

自宅とは別にオフィスもタワーマンション最上階へと移転。

事業は、コンサルティング&広告会社。

他社、他人の広めたいものや伝えたい事を
一緒になって広めていくお仕事。

これをやりたいという夢が無かった僕にはピッタリの職業。

東京には、何か夢を持って上京してきてる人が殆どで、歌手やモデル、芸能人、役者、会社経営、アパレル、不動産、そういった人達の広めたい事を広める会社へ。

こういった想いから僕の会社は始まりました。

ポータルサイト、キュレーションサイトの運営をして、”タメ”になる情報を
多くの人に届けています。

そして、インターネットサービスのコンサルティング事業。

店舗、企業に対してインターネットサービスを用いたマーケティング手法に経営のお手伝いをする事業。

個人事業主やフリーランス、僕の昔のようにこれから起業や成功したい人達へ自分の今迄の経験を活かして、どうすれば自分を広める事が出来るのかをレクチャーしています。

今後の自分、これからの人生

 

今、僕は幸せを感じておりますし、
これから幸せを届けたいと思っております。

「幸せを運ぶ指導者」になっていきたいます。

僕がこうやって、
0から這い上がってこれたのも、
世の中の環境や人との繋がりのお陰。

だからこそ今度は僕がキッカケを作る番。

今、インターネットが普及され、
スマホが普及され、数々のSNSも普及され、
いくらでも個人の力で成り上がれる。

今までは人と人の繋がりが持てませんでしたが、
無料で世界の人とでもスマホ1つで繋がれ。

自分を売り出すことだって、
今では多くの人に届けることが出来ます。
(それは個人レベルでも)

時代がもたらした最高の環境。

僕は皆さんに、
「勇気」と「希望」を与えて、
人生の活力になれればと思っています。

そして、情報も物凄く飛び交っている中で
何が正しくて、何をやるべきことなのか。

これらを強く伝えていきます。

世の中には詐欺会社や詐欺してる人は多い。

そんな人達に引っかからないように、
僕が少しでも力になれたらと。

世の中には誰でも
『稼げるビジネス』や『最強のビジネス』
なんて存在しない。

”稼げるビジネス”を探すのではなく
”稼げる自分”になるための方法を知り
その訓練を積むこと。

そして、僕はもっともっと
みなさんに稼いでもらいたい。
幸せになってもらいたい。
自由になってほしい。

綺麗事かもしれませんが
僕はこれをもっとーに 突き進んでいきます。

本気でそう思っています。

これからも日本の経済の為にも、
日本の基準値の底上げのためにも、
価値ある会社へと影響力のある人間へと。

突き進んでいきたいと思います。

では、最後に僕の好きな言葉を。

『『『理想は現実に、不可能を可能に。
未知なる挑戦と挑み続けろ。』』』

僕のプロフィールを読んで一人でも多くの方に
人生の活力になってもらえれば。

今の人生に悩みがあれば
逃げたきゃ逃げればいい

逃げるが勝ちって言葉を
信じてみてください。


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